豊泉

THE HIROSAKI UNIVERSITY LIBRARY BULLETIN
弘前大学附属図書館報  Print ISSN 0919-8563

No.13 1998.3 Page 4-5



問答と出合いこそ発展の契機である

宇 野 忠 義

 30年以上前の経験ではあるが,我々の学生時代に追い求めたものは,「人間いかに生きるか」という問いへの解答であった。そして千巻の書を読み,友人・先輩との出会いを求めた。
 この問答は中学生以来の課題でもあった。何故なら,40数年前の同窓生の3分の1以上が就職し,進路や適正を中学1年生より問われる時代状況であった。当時,驚いたことに中学1年生の教室には六法全書が積み上げられており,職業教育では実技のみならず軽犯罪法等の罪と罰の学習,あるいは,社会科では憲法のみならず労働基準法等の社会人としての自立に必要な最低限の知識や教養を教えられ,また生徒も懸命に身につけようとしたものである。現在問題となっているナイフ所持についても,その犯罪性の説明を中一で受けたことを記憶している。
 ところで,前述の問答はそれ以来の年期の入ったものであった。世界の思想家による,人間は「一本の考える華である。」,「社会的諸条件の総体である。」,あるいは「より良き存在を求めるのが本性である」等の言葉を吟味し,各人の生き方・生き様を照射し,写し出しつつ模索してきた。それはまた,毎日の果てしなき書物・活字との出会いであり,目に見えない人も含めた多くの人との出会いであり,問答であった。
 社会的存在としてのみある人間個々人は,いわば社会の網の日の一結節点にすぎず,社会的諸状況を絶えず反映し,影響されるものである。それ故,時代の流れと自己の立脚点をしっかりと見極めるためにも,鏡に姿を写し出す如くに,他者を介して自己洞察し,あるいは社会を写し出し,読みとることが必要であり,重要でもあろう。
 このことが反省と発展の契機になり,また,自立した社会人の形成に役立つことにもなる。時代は変化し,コミュニケーションやメディアの手段,方法も多様化してきたのだが,こうした問答と出会いの持つ意味は不変ではなかろうか。この学生時代に自立した社会人としての素養を磨いてもらいたい。

うの・ただよし 農学生命科学部 教授)



弘前大学附属図書館 Hirosaki University Library