豊泉

THE HIROSAKI UNIVERSITY LIBRARY BULLETIN
弘前大学附属図書館報  Print ISSN 0919-8563

No.14 1999.1 Page 1


本への思い入れ

農学生命科学部長  豊 川 好 司

 農学部の最後の増築が今から5年前にあり,私は現在の研究コに引っ越しました。その時に専門書を半分くらい整理しました。整理とはフてたということです。
 中学生の半ば頃までは月刊少年画報の少年剣士真空切りの赤胴鈴之助の漫画を楽しみに毎月本屋に走り,片っ端から読みフてていましたが,弘前大学の学生になった時には,回りの学友達の豊かな人間味に触れ,浅学非才の身を感じ一頁でも役立ちそうな内容の本が目につくと,小遣いの範囲内で,あまり考えることなく本を求め,本柵に飾っていたことを思い出します。
 大学生時代の本のことでは,30年前にはもちろん大学生協はありませんから,下宿先の大学正門の真前の古川さんの2軒隣の瀬Jll書店に大変お世話になりました。当時は書店として大変賑わっており,専門書を注文すると,3週間位後に,現在のご主人のお母さんが,本が居いているよ! と声を掛けてくれたことを思い出します。瀬川書店は今年閉店しましたが,閉ぎされた家の前を通るたびに思い出します。
 5年前に本をフてた私は,そのことを題材こした原稿をと考え,参考にしようと豊泉のパックナンバーを眺めていたら,人文学部の村松惠二先生が「本をすてる」(No.9 1996 p.4)と題し,ごゥ分の考えを論理だてて詳しく述へていました。僭越ですが先生の最後の段落だけをとりまとめますと,職業上の必要性からゥ分の利用度の高い本は購入しているが,本は公共的な図書館に所蔵していれば,それで十分なこと,と述べられております。私が本をフてることになったのは,研究コが,日頃ほとんど手にしなくなった本で占められていたためであり,村松先生のような論理的な考え方で行った訳ではありませんでしたが,私の本をフてた行為を概略説明してくれていると,納得して読み返しました。
 研究コの引っ越しが使わない専門書の整理・廃棄の引き金になりましたが,本当の理由は最近の日進月歩の科学の展開が,どんどん新しい知見を導き出し,古い内容の一専門書が役に立たなくなってしまったことです。情報が湯水のように流れ,誰でも簡単に本を作れる時代になりました。そして科学の進歩とミ会の変化が,目次構成から中身まで大幅に変革してしまいました。しかし若い時に何度も頁をめくった専門書をフてるという行為をなかなか断行できなかったことを思い出します。一昔前の,本そのものを大事にする気持ちの強かった時代を過ごしたメにとっては,全精力をつぎこんで作られた本でも,簡単にフてられる時代になり、著メにとっても,本そのものにとっても,厳しい時代になったものとつくづく思います。
 整理すると決めた本をフててから5年経ちましたが,図書館が充タされているので,調ベもののほとんどのことは解決できたので,困ったことはありません。しかし,若い頃に親しく手に取った本のことを思うと,まだ少しうしろめたさと一抹のさみしさを感じています。
 畜産学を専攻した私は,大学の恩師が教科書として講義に使った畜産学汎論(養賢堂,1960年 出版)を整理しないで本棚の上席に飾っています。興味がないと面白くもなんでもない入門書ですが,これだけは隅から隅まで何回も目を通したので,表紙がとれそうに傷んでいますが,現在ある私の原点ですから,鎮座させています。

とよかわ・こうじ 農学生命料学部 教授)


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