豊泉

THE HIROSAKI UNIVERSITY LIBRARY BULLETIN
弘前大学附属図書館報  Print ISSN 0919-8563

No.17 2000.2 Page 1


図書館から大学が見える

学長特別補佐 中 村 信 吾

 中学生の時,初めて市立図書館に行った。音楽好きの友人に誘われて「クラシックのタベ」などと銘打った音楽鑑賞会でSPレコード何枚かに分けられた交響曲を聴いた。図書館では絵画展や書道展も時々開いていた。市立図書館は筆者の育った街では唯一の文化施設だった。中学校や高校には図書室はあったが本を並べてあるだけで利用した記憶はない。大学の図書館は,本を積んでもノートを広げても隣や対面する人のことを気にする必要がない程机が大きく衝立はなかった。壁には肖像画などが掲げられ,窓にはレースのカーテンがさがり,外界の動きを遮っていた。静寂の中で各人が真剣な眼差しで本をにらんだり,天井や窓外を見たりして思索に耽る姿があり,それは新入生の学問への畏敬と好奇心を刺激する風景でもあった。専門課程では,学科に図書室があり.学術雑誌が開架式で並んでおり革表紙の中に金文字で雑誌名が刻まれアカデミックな雰囲気が充満していた。今見るとなんと豪華な製本だろうと驚く。図書室の事務官は品のあるおばさん(当時の筆者の年代からみると)で簡単な製本をしてくれたり,気難しい教授の部屋から本を借りてきてくれたりした。大学院で所属した研究所の図書室にも同様な雰囲気があり,魅力的な事務官が今で言う情報検索の話にのってくれたり,根を詰めて調べものをしているとお茶やコヒーなどを勧めてくれた。図書室はまさに知的憩いの場でもあった。留学先の研究所の図書室は大きくはなかったが24時間開いていた。昼間いる司書は何か戸惑っているといつもすぐに[Can I help you?]と声をかけてくれ文献手配をしてくれた。
 これらは30年以上前の話である。図書館,図書室は読書したり調べたりする場所ではあったが,それ以外の何か格別な雰囲気があった。今とは違って,学問を取り巻く環境がゆったりとしたテンポで流れていたのだろうか。
大学図書舘といえば蔵書数が取り上げられるが利用者の立場から言えば関係のない蔵書が何万冊あろうが意味がなく,今すぐ手に取りたいという書籍や雑誌の存在が大事である。その中には時に古典があり,また新刊の学術雑誌である場合もある。利用者の要求は千差万別であり多大である。その他にも,大学図書館となると資料的価値としての図書の保管や国際化とよばれる時代には留学生向けの書籍も揃えなくてはならない。本学の場合,加えて地域社会にも開放しているし,夜遅くまで開館している。したがって利用者全ての期待を満たすためには膨大な予算とスペースが必要になるし,それなりの雰囲気もほしい。
 いまさら何をいうのかという声も聞こえそうであるが,大学図書館の役目は何だろうか。書籍を保管し閲覧するだけではなかろう。充実したLLやビデオなどの視聴覚施設に始まり,単に印刷物ではなくCD−ROM化や電子図書館化,さらにインターネット,モパイル機器時代に即した新しい知識集積,伝達方法等を早急に展開する必要がある。図書館の役割は急速に拡大しつつある。難しいことではあるが,蔵書数の問題も含め,利用しやすく,落ち着いた中に活気のある図書館の構築とその利用方法の理解の徹底化が要求される。
 少子化時代を迎え国立大学も競争時代に入ったと言われている。教育研究のみならず建物やいわゆるアメニティなどの完備も大学進学者にとっては選択肢の一つになるのだろう。その中で図書館と図書館が持つ機能性は大学が持つサービス性の中でも最も重要な要素の一つである。各大学の図書館が,どのようにして,学生の知的好奇心を刺激し,学内外の研究者への最先端情報の収集力と提供機能を備え,知的創造性を高め,さらに社会的には知的財産の縦承と拡大を図るかが問われよう。21世紀は各大学図書舘の特性がその大学の顔になり,大学の図書館活動からその大学の活動状況が推察出来る時代かもしれない。

(なかむら・しんご 農学生命科学部・教授)


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