Top > 学内出版物 > 図書館報「豊泉」 > No.21(2001.7) > p.1-2


古人の情報収集と研究

人文学部長  藁 科 勝 之

 約三十年以上前の昔話である。大学院生になりたての頃,菅原道真の話を聞いた。いささか古いところをやっていたので,昔の人はどうやって研究したのだろうかということに興味があった。その話は授業だったかもしれないが,道真の書斎・研究室のことである。彼の『菅家文草』に「書斎記」という短文がある。
 その中に,「学問之道,抄出為宗」と出ていて,学問というのは「抄出」(抜き書き)だというのである。これを読んでなるほどと思った。ではどうするのかというと,「短札」を用いるのである。短札とは木の札である。この短札に諸書からの抄出を書きとめるのである。こうして収集,分類して書斎の棚に保管しておく。まさに現代のカードである。用済みになっても捨てないで,刀で削りとって新たに使う。道真の研究室は情報の宝庫であったことだろう。われわれも当時はカード愛用者だったが,道真もそうかと,妙ににわかに道真に親近感を持った。

 その後,江戸時代の辞書の調査のため,東京郊外にある静嘉堂文庫に行った。ここは明治の財閥岩崎家の岩崎弥之助・小弥太蒐集による和漢の貴重典籍が収蔵されているわが国屈指の文庫である。
 ある書籍を披閲したところ,こよりで綴じただけの冊子状になったいわばノート様の和本のほかに,1つの箱がついていた。その箱をあけると,形も不揃いの薄い短冊状の和紙のメモの類が何枚も入っている。そしてそれらの短冊みたいな紙には,単語が書いてあり,その出典の用例とおぼしき引用文やまたその語釈などが細字で記されていた。
 どうもこの薄紙の短冊状のものは,現代で言えばカードであるらしい。辞書を作るために,ある文献から語句を抜き出し,その意味や用法を注記して,という作業を繰り返していくのだが,それが断片的に残され保存されているのであった。その著者は無名氏だったがその無名氏の労苦をひしひしと感じ,この時も親近感を持ったものである。

 さて大学院生になるとしきりに本が必要になってくる。私の分野の場合,とにかく文献・資料を手元に置いて読まなければ仕事にならないので,お金が入ると本を買う。神保町の古本街にはお世話になった。おかげで和本も少しは買った。しかし古本は高い。ただでさえそれほど経済状態のよろしくなかった私の財布が何かにつけて不如意になったころ,友人の紹介で,通っている大学の図書館でアルバイトができるようになった。夕方5時から夜10時までの夜の商売となった。8階まである(広いが狭隘な)書庫内に詰め,本の請求が来ると書棚から取って1階までリフトで送る。分担している階の片隅に読書ができる机と椅子があって,請求が来るまではそこで何をしてもよい。期末時は学生がレポート作成のためのにわか勉強のおかげで忙しくなるが,それ以外は当然調査やレポート,読書などに専念できることになる。時には教員の本探しのお手伝いをしたりする。図書館の全図書はまさに我がまま(語義どおり)に読める。
 いつものように書庫内をうろつきながら本を引っぱり出しては眺めていた時,ある和本のその中の書き込みに目が行った。中国渡りの小説を日本で翻刻した近世の版本だが,その本文や欄外には,読み手が施した注記,按文が,墨,青,朱筆で記されている。その筆跡に見覚えがあった。アルバイトを紹介してくれた友人が調べていた近世の文人,語学者でもあった人物の手ではないかと思い,早速彼と調査した。その文人の自筆の資料として漢和辞書がたまたまかの静嘉堂文庫にあるのがわかっていたので,付き合わせて見たところ同一と認められた。彼は後年,この文人と書き入れについて論文を書いた。
 さてこの文人の作った漢和辞書は,まだ編集の途中の段階のもので整っておらず,あちらこちらに書き入れがあるのだが,おもしろかったのは,なんと切り貼りを相当していることである。その切り貼りはいったい何から切り取ったかというと,先行して出版されている同類の辞書なのである。つまり他人の本からの借用である。断りがなければ無断引用であるが,辞書の編集にあたって先行のものの利用ということはもちろんある(後のことだが,別のものでこういう例に何回か遭遇はした)にしても,それでも,こうやって切り貼りをするものか,としばらく考えさせられた。彼は辞書編集のために,1冊辞書を買い,ばらばらにして切り貼りし,はめこんだのである。お金と手間がかかったと思う。いまなら講義用資料作成の時,他書からの引用としてコピーして貼りこんで印刷ということはやるが。
 カードも切り貼りも,現代はパソコンでそれをやってしまう現代に生きているわれわれはたいへんしあわせである。ただ旧来のカード式も捨てがたい味があって,カードを書いている時のほうが,たちどまって考えることが多い気がする。だが下手な考え休むに似たりという時も多いから,考えてしまう。

(わらしな・かつゆき 人文学部教授)


弘前大学附属図書館 Hirosaki University Library