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図書館についての雑感

医学部保健学科図書分室長  三 浦 孝 雄

 図書館の役割はなんだろうか。自らをふりかえると,記憶は定かではないが,小学校5年生のあたりに先ず図書館の存在を知ったのだろう。それは終戦後数年,教科書は全部そろわず,時には予科練(この字で正しいかどうか新明解国語辞典で確かめようとしたが,載っておらず戦争は過去になってしまったのだと感慨を覚える)がえりの先生から全員一列に並ばされ,歯をくいしばれとの号令一下ビンタを食らわせられたりする−その理由がまた思い出せないときているが−そのように先生の言うことすることに批判はおろか,ただ素直に従っていた時代である。多分読書をせよという先生の勧めにしたがって友達と初めて図書館に足を踏み入れたのだと思う。どれだけの量を読むかの競争から始まった。吉川英治の宮本武蔵から始めたが,意外に読めたし,また面白かったのである。昔とはいえ沢山の本があるので,なにを読んだかおぼえていないが,あとは手当たり次第であった。
とにかく本を読むことの楽しみに目覚めたことにはなる。初めは強制的であったかもしれないが,種々のジャンルの本を読み散らす今の自分の原型ができたように思っている。
 しかし,図書館通いが続いたかというとそうではない。中学は遊びに熱中しており,高校生のころは叔父が買い集めていたハヤカワポケットミステリーシリーズを,受験勉強には推理小説で頭の働きを良くするのだといって一晩に最高7冊といったペースで読んでいたし,新世界近代文学全集もあり,これも読みまくった。大学生になっても同じでさっぱり図書館へ足を向けなかった。社会人になると自分で購入した専門書が中心で,文献検索のために間接的な図書館の利用となる。
 学生に対して図書館の利用を勧め,サービスの向上をはかる今の立場としては,はなはだ心許ない過去の図書館利用者である。だが図書館には古人からの知の蓄積と英知がつまった書物が備えられており,何か必要に迫られたときの心強い支えとなると信じている。
 私の恩師である東野元弘前大学長は機会があるごとに,様々な先達の知の結晶を我々に紹介してくれた。多忙な現役時代では先生のお話の中に引用された本を自分も読んだことがたまにあったりしたが,退官されてからは,全く知らないことばかりとなり,ただ感嘆するばかりで,どこからそんなにとお尋ねしたことがある。自宅の近所に図書館があるのでとさりげなく言われた。
 コンピューター以前の情報伝達と知の収集の確実な手段は文字として紙にかかれた本でなかろうか。またある意味で歴史の保存でもあった。その本を集めて知の探索者を待っているのが図書館であろう。クレオパトラの時代,ローマ軍により焼かれてしまったアレキサンドリアの大図書館が残っていれば,どのような知的遺産が世界にもたらされたのかと映画をみていても思ったりする。医学の歴史においてもヒポクラテスやガレンの残した文献がイスラム圏内を周遊していなければ,我々は医学の始まりを知ることが出来なかったであろう。ブラッドベリーの原作にもとづいて書物を愛したトリュフォーが撮った華氏451という映画では,極度に機械化され,管理された情報はすべてメディア(TV)で伝達される未来社会(禁書隊なるものがある)での読書一本の行方を描いている。図書館の電子化が現実となってきている現在でも書物の存在意義が消え去ることはないと思う。
 いずれにしても図書館の持つ意義は大きい。それぞれが,図書館を活用し,人の未来を明るくするような役割を図書館が持ち続けることを願っている。

(みうら・たかお 医学部教授)


弘前大学附属図書館 Hirosaki University Library