弘前大学附属図書館報 豊泉 No.10 Page 1

豊泉

THE HIROSAKI UNIVERSITY LIBRARY BULLETIN
弘前大学附属図書館報  Print ISSN 0919-8563

No.10 1996.12 Page 1



本を書くこと

図書館報編集委員会委員長 新井 一夫

 「豊泉」の読者の皆さんの多くは図書館の本を読む立場から図書館を見ておられまが,今回は本を書く立場から書いてみようと思いました。私は今年の9月に「原価計算演習講義」という教科書を刊行する機会に恵まれましたので,その作成過程をご紹介しながら,本を書く側の気持ちを理解していただければ幸いに思います。
 さて,この企画が持ち上がったのは昨年9月の日本会計研究学会全国大会でのことでした。以前から親しくしている同世代の先生から共著で教科書を書くよう協力を依頼され,二つ返事で引き受けました。というのは,経済学科に経営情報コースが新設されたり,商業高校生の推薦入学制度が導入されて,講義のレベルを上げる良い機会にしたいと思ったからです。その後,その先生とは章立てを打ち合わせ,また併行して出版社とは「演習講義」シリーズの方針,様式,執筆要領などを打ち合わせた後,本格的な執筆に取りかかりました。昨年の9月下旬頃のことでした。
 さて,この本の方針と様式とは次のようなものでした。まず単なる教科書とは異なり演習形式とすること,つまり各章は、(1)2ページ程度の「演習ポイント」(2)「範例」と「解説」と「解答」,(3)「練習聞題」から構成しなければならないというものです。さらに巻末には「総合問題」が設けられることになっていました。さて,各部における苦労したはどんなものがあると思われますか。(1)の演習ポイントでは,各章での重要な点をわずか2ページ程度に収めるのに削除のためのかなりの決断が必要となりました。最近の若者には理屈を長々と説明するよりも短く要点や結論を示してあげた方が理解しやすいかもしれないと思いながらこの部分は書いています。私たちの学生時代は教科書には多数の学説が列挙されていて,結局はどれが重要なのかが理解できなかったという経験をしているため,私の講義では学説には優先順位をつけ重要な説から理解するよう強くすすめてきましたが,その考え方をこの教科書では生かすことができたように思っています。
 次に(2)の「範例」は「演習ポイント」の要点を具体例を通じて説明するものとしなければなりません。私は「原価計算」などのいわゆる「会計学」と呼ばれる学問は自動車の免許をとるようなものだとよく学生には話しています。学科だけでなく実地の訓練がなければ運転免許取得が不可能なように,原価計算も講義を聞くだけでなく必ず実際に問題を解いてみなければその理論は身につかないのです。この意味で範例を解くことは重要なステップなので,すべての問題はできるだけ解きやすく,さらに,計算ミスのないよう何度も手直しを強いられました。最も気をつかったのは問題の難易度で,当初日本商工会議所簿記検定2級と1級の中間程度を目指しましたが,共著者との調整過程も含めて,校正の段階に至るまで何度も修正を重ねています。また,「解説」と「解答」では,できるだけコンパクトにまとめながら,演習ポイントで説明できなかった補足的な点を加えてていねいに説明しています。私の性格的なものでしようが共著者の先生に比べると多少くどくなっています。他人の本を読む時にはもっと簡潔に書けば良いと思っても,自分が書く時には,つい欲ばってしまうものなのです。
 最後の「練習問題は」日本商工会議所簿記検定や公認会計士試験の試験問題を借用すれば簡単にできると思っていましたが,前者は出版社から禁止され,後者は難解すぎるという理由でそれをやめ,私の講義で用いた練習問題や試験問題を用いたり,巻末の総合問題を変形したりして用いました。この問題の解答は本の中に掲載してありませんが,解答不能な問題でないことを確認するため全問解答をチェックしてから掲載しています。
 こうして私の担当部分の原稿が完成したのは今年の4月下旬になってしまいました。執筆開始からすでに8カ月が経過しています。原稿を出版社に送って一息ついていると,すぐに第1校が返送されてきて,共著者との調整作業が始まりました。予想に反してこれが意外とたいへんでした。読んでみると同じ用語を使っているのに意味が違っているなどということが起きているのです。また,問題の難易度がかなり違っているということもあって,大巾な手直しをせざるをえなかったのです。苦労の末の第1校の完了は7月上旬となってしまいましたが,幸いなことにその後の校正,寮引,はしがき,参考文献,著者略歴などは順調に作業が進み,9月17日には,私の手元に完成品が送られてきました。結局執筆開始から完成まで約1年がかかったというわけです。
 比較的早く書けると言われている教料書ですらこれ程の時間がかかりますから,研究書にいたっては5年や10年の歳月がかかるのは当然と言えます。学生の皆さんはこれを知ればきっと驚かれるにちがいありません。それぞれの本には著者が努力を重ねて書いた跡が必ず含められていることを知ってくだされば,これまでとは若干読み方が変わるかもしれません。
 さて,このお話には続きがありました。各章未の緑習問題や総合問題の解答が掲載されていないので,これを作成し出版社に送るという作業が追加されたからです。これは教科書に採用された先生方のサービスのために別送するために必要ということでしたが,こちらも多忙だったためついに11月初句に送るはめになってしまいました。
 この本は,来年度から講義の教科書として用いる予定でいますが,受講生の反応はいかがなものでしようか。「これは理解しやすい」という声か,「なんてわかりにくい本だ」という反応のどちらが返ってくるのか,期待と不安の入り交じった気持ちにおそわれる昨今です。

(あらい・かずお 人文学部教授)



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