豊泉

THE HIROSAKI UNIVERSITY LIBRARY BULLETIN
弘前大学附属図書館報  Print ISSN 0919-8563

No.7 1996.1 Page 1


本は人なり

図書館報編集委員会委員長 原田 幸雄

 ひとり灯(ともしび)のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、このようなぐさむるわざなる。 ・・・(徒然草 上十三段)
 一日のうち人と接し会話する時間に比べ本を見たり読んだりする時間も決して少ないとはいえない。読者が「見ぬ世の人」との心の触れ合いを意味するとすれば、私は毎日何時間か時間と空間の制約から開放され、非現実の世界で過ごしているといえよう。そして生活とは現実と非現実の間を往来しながら生き延ぶる術だとすれば、今や本とのつき合いは人とのつき合いと同等の意味を持つと考えざるを得ない。
 「文は人なり」という言葉にならって、私は「本は人なり」の語録(?)を考えた。この言葉によって、1.本は人から生まれるものであるこ、2.本はそれぞれパーソナリティーを有すること、3.本には一般に寿命があること、4.しかし特に優れて価値ある本は不滅であること、などを表現したいと思った。立派な本は大事に取扱おうとする気持ちを自然に起こさせるものである。
 個人の蔵書はしばしばその所有者の人柄を偲ばせるもので、「本は人なり」の語にはそういう意味をも含めたつもりである。私の母校北海道大学農学部の植物学教室には初代教授宮部金吾先生(1860-1951) の蔵書がそっくり収められている。学生の頃初めてこの図書室に案内された時の驚きは今でもわすれることができない。そこには現に宮部先生の魂が息づいているように感じられた。多くの本を利用できる便宜さもさることながら、それ以上に図書室の雰囲気から受けた精神的鼓舞に今でも感謝している。
 古典は知識の宝庫といわれている。温故知新の心は読書を一層有意義なものとするだろう。私は最近徒然草のなかの1節で文中の「馬」を「車」に置きかえて読んでみた。そうすると、この文章は見事に現代風に蘇り、力強い響きで車の事故の危険性を語り始めた。簡潔でこれ程説得力のある文章を他に探すことができない。
 吉田と申す馬乗の申し侍りしは、「馬ごとにこはきものなり。人の力、争ふべからずと知るべし。乗るべき馬をば、まづよく見せて、強き所、弱き所を知るべし。次に、轡(くつわ)、鞍の具に、危き事あると見せて、心にかかる事あらば、その馬を馳すべからず。この用意を忘れざるを馬乗とは申すなり。これ秘蔵の事なり」と申しき。(徒然草 下第百八十六段)
 本の命はしばしば本から本へと末永く後世に伝えられる。それはあたかも人の命のようである。私は最近、私の専門分野の大先輩である原摂祐(かねすけ)氏の著書の後書きにある、植物学者の牧野富太郎氏の句をもじって作られたという句が、チベット探検で有名な河口慧海(えかい)の句によくにていることを知った。牧野氏は河口氏の句を読んでいたのではなかろうか。

○原 摂祐
  ふるい(振)葉しとねに ほた木を枕
    カビと暮して五十年        〔日本菌類目録〕 1954

○牧野 富太郎
  草をしとねに 木の根を枕
    花と恋して五十年         〔植物記続〕   1944

○河口 慧海
  空の屋根、土をしとねの草枕
    空と水との旅をするなり      〔チベット旅行記〕1897

 一見無関係に思われるこれらの本が一筋の糸で結ばれているような気がする。それは時代を越えて連綿と続く学者の魂とでもいうべきものである。不滅の書の源は実に人間の命そのものに他ならない。

(はらだ・ゆきお 農学部教授)


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