豊泉

THE HIROSAKI UNIVERSITY LIBRARY BULLETIN
弘前大学附属図書館報  Print ISSN 0919-8563

No.7 1996.1 Page 2


北方世界史への扉

 ── 「書庫歩き」と郷土資料コーナーの魅力

斉藤利男

 附属図書館報「豊泉」に何か一文書いてくれないかと頼まれたとき、最初に浮かんだのは、「こりゃあ、まずい」という思いであった。何を書いたらよいか困る、というのではない。私もまた、附属図書館を大いに利用し、その恩恵を受けている者の一人と、日頃自認しているからだ。
 「まずい」というのは次のことである。私は、いつも制限冊数いっぱい本を借り、そのためもあって、しばしば返却期限を過ぎて閲覧係から催促を受けている。また、教官の権利を利用してしょっちゅう書庫に入り、ついそこで長居をしている。「困った先生だわ」とか、「あの人、あんな暗い書庫の中で何しているのかしら」などと、言われていないだろうか、そういう思いが正直のところであった。
 だが、せっかくの機会、ここで一言弁明させてもらおう。理由は単純明快。それは書庫に入るのが楽しいからだ。もちろん遊びで入るのではない。捜す本があって入るのは当然だが、私は普通、急いでいないかぎり自分で入って捜すことにしている。どの本がどの辺にあるか、今では大体判ったということが理由の一つ、そして、何よりも、そうして捜せば必ず大きな「余得」があるからだ。「こんな本があったのか」「これは面白い」。書庫の中を歩いていると、ついついこんな衝動にかられて、たくさんの書を引っ張り出すことになる。勢い「書庫内滞在時間」も長くなるわけだ。
 そうした中で、私が気にいって、いつも長居をするのが、入口から入って直ぐのところにある「郷土資料コーナ」である。「なんだ郷土資料か」とバカににあにでほしい。これは図書館担当者に注文したいのだが、「郷土資料」という名称がよくない。カビが生えてきそうな響きがある。国際文化・情報化の時代である。せめて「地域史・地域社会資料」、できたら「北方史・北方地域資料」に変えられないだろうか。実際、そう改称した方が魅力的だし、そのほうがピッタリくるような素晴らしい資料・書籍が数多く集められているのである(ついでにいうと、将来の図書の充実を考えたとき、こうした視点はぜひとも不可欠であると思う)。
 二、三、具体的に紹介しよう。歴史関係では「みちのく叢書」「青森県叢書」「青森県立図書館解題書目」といった文献史料集がそろっている。次に明治時代や戦前に編纂されたものも含めて、県内の主な地方市町村史類や、郷土史の著作がある。もちろん考古学的な発掘調査報告書や民族学などの著作も多い(だたし、考古学発掘報告書の品揃えはままだ不十分であり、ぜひとも今後の充実がのぞまれる)。だが、それだけではない。ここには未だ活字にされていない文献史料の写本がいくつか収められているのだ。「永録日記(館越日記)」「津軽歴代記類」「津軽旧記」「東日流記」。これらは、有名な安藤(安東)氏やエゾ・エミシの歴史、あるいは「ねぷた」の起源、坂上田村麻呂伝承など、北方の歴史を解明する上で、実に魅力的な書籍群なのである。北方史関係ではないが、新井白石著「藩翰譜」の写本もある。さらには、北の世界の偉大な思想家・安藤昌益の全集。そして、秋田叢書本と未来社刊本(こちらは郷土史料コーナーではないが)の二種類揃っている「菅江真澄全集」。これもまたすばらしい。
 こうした書に目が行くのは、私の専門がら仕方がないが、少し以前、ここに岩木山に関る一群の書が収められていることに気がついた。そこで発見したのが宮城一男著「津軽の岩木山」。これは掛け値なく名著である。とにかく面白い。しかも、その中で私の関心からいって注目すべきことが述べられていた。”岩木山は本州固有の植物・動物の北限であると同時に、北海道・北東アジア大陸の生物の南限でもある”という指摘だ。津軽海峡は生物にとって境界ではない。ブラキストン線は絶対ではない。青森の地は東アジアの北方・南方世界の接点である。これは、歴史畑の私にとっても驚きであった。近年盛んになりつつあるロシア・サハリンと青森県、さらにはわが弘前大学との交流。そこには地球史的次元からの根拠がある、というべきか。
  ともあれ、こうした楽しみがあるから書庫歩きはやめられない。いましばらく図書館職員の方々のご寛容をこう次第である。

(さいとう・としお 教育学部助教授)


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