豊泉

THE HIROSAKI UNIVERSITY LIBRARY BULLETIN
弘前大学附属図書館報  Print ISSN 0919-8563

No.8 1996.3 Page 1


小さな図書館の大きな役割

田中 重好

 「図書舘」と聞くと,連想することが二つある。一つは,大学時代の友人が「大学の価値は図書館と友人で決まる」といっていたことである。僕らの大学生の時代は学園紛争の時代で,真面目に授業に出席をすることは「美しくなかった」から,よけいに,図書館という存在が学問そのものに映っていた。
 もう一つは,「図書館は古本屋に似ている」ということである。古本屋と似ているとは,古めかしい本が並んでいるという意味ではない。古本屋が好きな人なら分かっていただけると思うが,いい古本屋に入ると,「文化価値のある本」がその価値に似合った価格で系統的に並んでいる。そんな古本の整理の仕方から,古本屋の主人の「頭のよさ」と「目の高さ」が伝わってくる。古本屋の主人とは不思議な存在である。本の内容は知らないはずだが,そうした本屋のおやじは「本の本当の価値」をよく知っている。逆に,価値のある本がとんでもなく廉価で店頭に,何の関連性もない本と一緒に並んでいると,得をしたと秘かに思う反面,本屋の力量を疑ってしまう。図書館も同じで,いい本が一定の密度で揃っていると,図書館づくりをした人の力と苦労が伝わってくる。そうした意味で,図書館の書棚をみていると,その大学の知性が分かるような気がしてくる。
 実際の図書館の思い出といえば,なんといっても,大きな図書館である。85年に北京図書館を訪問した。現在は郊外の海淀区に新図書館が建設されて移転しているが,その当時,故宮の裏手に,近代初期の建築様式の建物のなかにあった。その図書館の地下室の貴重本の書庫に入ったとき,内容ではなく,ずっしりとした中国文化の序みを想い知らされた。清朝の夏の宮殿に残る四書五経を納めてあった書庫の前で,元京大人文研の所長であった福永先生が,「おれはこれで飯を食ってきたんだ」とおっしゃったことを、今でも覚えている。大きな図書館は数多くの学者を喰わせてきた。また,学生時代,東京の庶民生活史に興味を持っていて,慶応の図書飴の屋根裏部屋で幕末から明泊初めの書籍を眺めるのが好きだった。同じ図書館で,フランスの社会学者デュルケームの,19世紀末に出版された『自殺論』の初版本をみつけた。出版間もない頃,当時の図書館に,「遠い」フランスからこの本を購入した「目利き」がいたことにただただ感心し,本の厚さを確かめていた。
 こうした図書館は例外なく,歴史をもった図書館である。長い時間をかけないと,こんなに貴重な,しかし,何年も,何十年も誰も開けない本を莫大に揃えることなど出来るわけがない。やはり,文化は時間の関数である。
 それに比して,わが大学の図書館は貧弱である。戦後の大学で,中国の四書五経を納める書庫とは比較しないとしても,明治初期にできた大学の図書館とですら,比べようがない。しかも,現在でも,弘大図書館の予算は東大図書館の何分の一かであろう。
 しかし,弘前大学が「ミニ東大」である必要がないと同様に,弘大の図書館も「東大のスケールダウンした図書館」である必要はない。わが図書舘は小さい図書館であるが,「大きな役割」をもっている。
 弘前大学の「大きな役割」と考えているのは,次の三つの点である。一つは,青森県や北日本に関する研究資料をきちんと収集しておくことである。この資料は,地方史や文化,風土などにとどまらない。具体例を出した方がはやい。たとえば,青森県で高度経済成長後期からおこなわれてきた,むつ小川原開発に関する関連資料の収集である。こうした国家を中心とした巨大プロジュクトがどういう過程で立案,実施されたのか,どういう民主的手続きをとられたのか(とられなかったのか),そこで暮らす人々はどう受け取ったのか,その社会的帰結など,経済,計画,中央,自泊体,住民,反対運動,マスコミなどの資料を総合的に収集する。こうした研究資料は,決して青森のためだけ貴重なのではない。第三世界の国家主導の開発プロジェクトを考える資料ともなる。したがって,この開発を研究しようとすれば,弘前大学の図書館に来なければならないということになる。この分野に関しては,弘前大学図書館の資料が「世界一」となりうるのである。
 第二は,大学内の研究の得意分野の資料を重点的に整備することである。たとえば,学内の方でも知らない人が多いと思うが,日本全国の中で弘前大学はアフリカ研究者の数は群を抜いている。しかし,アフリカ研究関連資料が飛び抜けて多いかといえば,そうではない。むしろ,逆なのではないかと思う。平等に資料整備をするのではなく,こうした研究者や研究成果の勘案して,もっと大胆に重点的に資料整備をすることが必要ではないだろうか。
 第三は,弘前という地方小都市にある国立大学図書館が果たすべきユニークな役割を考え出すことである。たとえば,「学生からの満足度のもっと高い」図書館とか,地域住民を巻き込んで一緒に「学ぶ場」を図書館がつくることなどを考えてもよい。
 予算がない,歴史が浅いという「言い訳」の蔭に隠れて,図書館自体の「知恵がない」ことを気が付かないのが最悪である。
 もう一つ,冗談のような本気の話をしておきたい。弘前大学の卒業生のなかで,経済的に成功した人が出たら是非,弘前大学図書館を建物ごと「(名前)記念館」として寄贈するよう,今から呼びかけておくことを考える。そうでもしないと.わが図書館は大きくなれない。

(たなか・しげよし 人文学部教授)


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