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弘前大学附属図書館貴重資料 妙源寺古文書 |
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令和2年6月18日更新
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妙源寺古文書(みょうげんじこもんじょ) |
点数:1(冊) | 墨書 法量 28.1cm×19cm | |||
表紙・裏表紙 本文 73丁 虫損著しい | 外題「妙源寺古文書 完」 内題「三河国桑子妙源寺古文 完」 | |||
![]() 本資料は,昭和53年(1978),附属図書館が事務部長制に移行した際に,東京大学附属図書館から寄贈された大量の古典籍の中の(第1丁目の朱印に,「東京帝大」の印文が見える),漢籍の中に紛れていたものと推測される。 『愛知県史』資料編10(愛知県 平成21年)によると,同資料は,岡崎市大和町所在の真宗高田派妙源寺の所蔵にかかる文書である。約70点の中世文書を収め,多くは戦国期のもので,同寺にあてた碧海郡・額田郡の土地の寄進状や売券である。発給者にはのちに松平家臣団に組み込まれた在地小領主が多く,松平氏との開わりも深い。当初は明眼寺と称し桑子殿,桑子御太子とも呼ばれていたが,江戸時代に妙源寺と改めた。伝承によると,文暦2年(1235)桑子城主安藤薩摩守信平が帰洛途中の親鸞を招き,城内太子堂で帰依して出家し法名念信房蓮慶となり,正嘉2年(1258)城地を割いて明眼寺を建立し,開基になったという。 現在,同文書の写本は,内閣文庫,東京大学史料編纂所,尊経閣文庫などに収められているが,『国書総目録』第7巻(岩波書店 昭和45年)の同文書の項によると,本学の当該文書の写本はその中に含まれておらず,新たな写本の一つといえよう。加えて,原本との校合をしてみないと不明の点もあるが,点数や刊行されている同文書の内容と校合した結果,妙源寺文書原本の忠実な写しと見て間違いないであろう。 【参考】『新編 岡崎市史 6 史料古代中世』(岡崎市 昭和58年) 『愛知県史』資料編10(愛知県 平成21年) (弘前大学名誉教授・元附属図書館長 長谷川成一) |
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