図書館報「豊泉」TopNo.23目次次ページ arrow


教科書

理工学部長  本 瀬  香

 新聞報道によれば,東大生の愛読書は漫画と教科書だそうですが,この事には批判があるとおり残念ですが,私は次のことからおおいにエールを送りたいと思っています。むろん,教養も応用力もと思いますが,現在の学生の基礎学力のなさが内外から言われているとき,少なくとも大学時代に,基礎学力をしっかり身につけることを希望します。
 私が小学校一年生の時は,終戦後の混乱の中にあり物資の無さから,印刷された教科書など無く,先生が二,三枚の薄茶色の粗末なわら半紙に,謄写版(現在のコピー機)で印刷したもので国語や算数を習いました。選択の余地はまったく無い時代でした。
 それがむしろ幸せで,今のように物資が豊かな時代は不幸なのかもしれません。選択も何もしなくとも,欲しくなくとも情報が与えられ,それに翻弄され,意欲をそがれ,常に受身で過ごす様に社会全体がなっているように感じられます。貧乏になって,受身で居られなくなって,驚いているのが現実ではないでしょうか。積極的に良い本を探す努力が必要です。
 さて,私が新入生に求めたいのは,自分にあった,良き本を見つけ,腰を落ち着けて,じっくり読んでほしいのです。自分にあった本を得るには,先ず現在の自分の力を知らなければならない。
 これは意外と易しいようで,難しい。私の専門は数学ですが,よく学生に,大学時代に高校の教科書をもう一度読み直すことをすすめている。この様に少し自分のレベルより低い本を読むことをすすめます。大学生なのに,とか,一度知ったことを今更と思うでしょうが,新しい発見があります。ある母親が,アンデルセンの人魚姫を読んで,顔が真っ赤になったと言う話があります。年齢によって,置かれた立場,環境によって,同じ本でも受けとめ方が異なります。
 小中高の教科書は多くの人の努力によって作られています。私も調査員をしたこともありますので,その点よくわかっているつもりです。複数の著者が書いた一冊の白表紙の教科書を,複数の調査員によって読まれ,検討が加えられ,さらに複数の検定委員によって検定されます。歴史教科書問題もあり,この様な検定制度に対する批判がありますが,先人の残した文化遺産のエッセンスを伝えるためには,この制度は必要と考えます。定価に比して,膨大な労力と費用をかけているこの様な本は他に見たことがありません。これを利用しない手は無いと思います。ただ,大学の教科書は文科省の検定を受けるわけではありませんが,教える側が,その道の大家による著作を選んでいますので,大いに利用していただきたい。
 本の読み方に乱読と精読があります。私は皆さんに精読をすすめます。乱読は良い本を探すひとつの方法と考えたらいかがでしょうか。一事が万事という訳でもありませんが,ひとつのことに精通することは視野が狭くなるように思われますが私の経験では不思議と他のことに合い通じるものがあります。私の専門は数学ですので,そこから例を二,三あげて,このことを強調したい。
 数学の研究方法は,それほど突拍子もないものではなく,他の科学に例を見られるものが殆どです。例えば,様々な事例を調べ,そこに共通のものを見出し,抽象化や法則性を見出す。これは数学の一つの手法ですが,他の科学でもそうであると思われます。
 また,健康診断のとき,超音波やX線で,体の中を写したり,排泄物や血液から体の状態を調べます。このことは,数学でも不明な対象を具体的なものに写して調べます。数学ではこれを表現といいます。これは中谷宇吉郎の「雪は天からの手紙」に代表される手法です。
 数学者は,社会的におかしい人が多いと言われていますが,決してそうではありません。エミニーネーターというドイツの女性数学者がいますが,彼女が教授昇格のとき,女性であることに反対意見が出た。教授の条件に男性という異質な条件を入れたわけで,その時,数学界の大御所ヒルベルトは言った「大学は公衆浴場ではない」と。
 少し本題からはずれましたが,現在は情報があふれている。情報をキャッチすることは容易どころか,本人が求めなくとも洪水のように我々に迫ってくる。現在はその中から自分に必要で有益な情報を取り出すことに多大な時間と努力が必要となっている。その省力化に教科書を精読することも一つの方法ではないかと考えます。参考にしてください。

(もとせ・かおる 理工学部教授)


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